山田オリーブ園 国内で初めてオリーブの有機栽培に成功しました。

2021年これからのこと1回目

2010冬のオリーブ畑にて剪定

がんばって剪定などしていたのだが風がビュービュー吹きつけて手と足の指の感覚が無くなってきたので撤退。本当に凍傷になるんじゃないかと恐くなってきた。せいぜい霜焼けだろうけど。外にいるのが寒いので少しこれからのことをここで考え始めたいと思う。今年の冬はたっぷり時間だけはあるので何回かに分けて少しずつ書いていく。

 

東京から小豆島に移住してきたのが2010年だったから今年で12年目突入。

 

これまではド素人農家が専業農家として瀬戸内海の離島で食っていけるようなることを目指してきた。そして一応その目標は叶ったので、次はそろそろ島の外にも出てみようと思ったのが昨年。でも結局ほとんど出ていくこともなく終わった。

 

なぜ出ていけなかったのか?いかなかったのか?

 

コロナ禍に原因を求めそうになるがそうじゃない。

 

たぶん、本気で出て行こうと思っていなかったから。なぜ本気で出て行こうと思わなかったかというと出ていく必然もしくは強い欲がなかったからだろう。なんとなく島を拠点にしたまま、たまに狭い島から出て気晴らしでもしたいくらいのノリでは出ていくはずがない。10年も住んでいるといつもまにか住めば都、不思議と居心地もよくなってくる。

 

そもそも自分の畑で育てたオリーブを自分で搾ってネットで販売する形態にしているので島の外に出る用事もない。この島で全て完結しているし、そうなるようにした。

 

自分もしくは自分を取り巻く環境が変化したら適応するけど、何もないのに突然変わるなんことなんてない。ではこのまま何かがやってくるまで現状維持でいいかというと、それはそれで面白くない。だとすれば、とりあえず環境がどのように変わっていくのかを想像しながら自分なりに少しだけ早めに手を打ってみるしかない。

 

ということで次はこの3月末に、定期航路が廃止になる草壁港の身近な変化から小豆島のこれからのことを想像してみたい。小豆島の問題は日本に数多くある有人離島の問題であり、島だけではなく過疎地、それから地方そして首都を含む日本そのものの問題にも関係していく気がしている。

 

僕はこの島で生まれ育った訳でもないので申しわけないがそれほど島に特別な感情を抱いてはいない。何年経っても余所者の移住者。それでも今はこの島を気に入って仕事を得て暮らしている余所者としてある程度客観的な視点で考えらえるかもしれない。

 

ちなみに僕は幼少期を佐賀と三重の四日市で過ごしたが、佐賀にも四日市にも郷愁のような感情は持っていないので、小豆島だけでなく多分どこにどれだけ住もうとそういう感情が欠落しているのだと思う。ある意味、どこにも思い入れがないので感傷的なことを抜きにしてどこでも暮らせるのは楽。

 

では次回、小豆島の10~30年後のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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