畑借りるの苦戦したけど結果オーライ
2010/03/11 撮影。
小豆島に移住してきたのが2010年2月16日だったので約1ヵ月後に貸してもらえる畑が見つかった。何よりスタートラインに立ててほっとしていたと思う。
農地探しは簡単ではないと思ってはいたが想像以上に苦戦した。1ヵ月で見つかったのだからそんな大したことではないが、その当時のことは農家になって12年間で一番、怖くて不安な1ヵ月だった。
そもそも移住する前に農地を貸してもらうことができれば良かったのだが、東京に住みながら休日にやってきて交渉してみると、実際に来るかどうか分からない人に貸すかどうかの話しを真剣にしてもらうことが難しく、ひとまず移住してから本気で探そうと腹を括った。
最初にオリーブ栽培を勧めてくれた県の農業普及センターに行ったが個別の農地探しはしていないとのこと、町役場の担当部署に話に行くが取り合ってもらえず、地元に長く住んでいる義兄に相談して彼に同伴してもらうことで話しを聞いてもらうことはできたが、どこそこに空いてそうな畑があるといった情報をもらうのが精一杯で、その畑の持ち主に交渉に行っても一蹴されて終わりだった。
そもそも畑の斡旋などはそれぞれの地域の農業委員に相談した方がいいとアドバイスされ、池田と内海の農業委員に相談してみるが、住んでもいない池田の委員は電話で断られ、内海の農業委員は1日、畑探しにつきあってくれたが結果的には畑を借りることはできなかった。
当時は、そういった人たちが不親切であるかのように思っていたがそうではない。単純に僕が相談した機関や人たちは新規就農者に農地を斡旋することを仕事としていないだけのこと。つまり、仕事でもないのに話しを聞いてくれたり、何なら農地探しに1日時間を割いたりするのは、その人たちの単なる親切心であったのだから、今思うと何とも恥ずかしい。
最後は義兄が親類縁者に声を掛けてくれて1ヵ月後、なんとか最初の写真の畑、寒霞渓の麓にあるこの畑、約1反を借りることができた。嫁さんの実家に、たまに遊びに来ているだけの立場の人間にはパラダイスのように見えていた島も、実際にそこに移住して農業を始めるとなると親戚以外は誰も助けてくれなかった。そういう当たり前のことを最初の1ヵ月で学べたことは何より貴重な体験となった。
2022/02/10 12年後の今日、同じ場所で撮影。木はすっかり大きくなって雪が降っている寒霞渓が見えなくなった。
ちなみに、移住前の計画ではひとまず1ヘクタール(ゆくゆくは3㌶)くらいの畑を借りるつもりだったが、その10分1の畑を借りることにも苦戦した最初の体験で、広い畑に沢山の木を植えて実を農協に出荷する農家になることを諦め、そこまで広くない畑でも食えるように、有機栽培で育て、自分で搾油をして、自分で売る農家になった。
厚顔無恥だった自分が恥ずかしいけど、思い通りに畑が借りれなかったお陰で今がある。結果オーライ。
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