長雨でひとやすみ
今の夏の長雨に名前なんかあるのだろうかと調べてみるがないみたい。日本語にはびっくりするくらい雨の名前があるのに、真夏の長雨の名前がないということは、そういう気候が珍しいということなんだろう。途中ちょっと止んだ日もあったけど、そろそろ10日以上降り続く雨。
YouTube撮らなきゃと思うが畑に行かないと頭がボーとして何も思い浮かばない。ちなみにこの1週間くらい畑仕事ほとんどできてないのだけど、その代わりというか珍しく人と会ったり、長いメールのやりとりしたり、有機JASの調査があったり、ワクチン打ったり退屈はしていないけど、それでもやはり、雨に閉じ込められたみたいな気分が続いている。立ち止まっているというか異世界に迷い込んだみたいに雨音と蝉の声ばかり。
そんな日々ではあるけど、ちょっとした発見みたいなこともあった。長いメールは小学生と虫の話しをしていて、そのやりとりですごいなあと思ったのが、その子はあるテーマを調べながら考えているのだが、もうだいぶ長い間、分からないままずっと考えているみたい。それがすごい。どのへんがすごいかというと、別の機会に大人とやはり難しいというか分からないことの話しをしたのだが、その大人たちは分からないであろうことを、分かったと思い込んでいるみたいだった。分かっているはずがないのに、分かったつもりになっているというか、分かったことにして考えることをやめていた。つまり、分からないことを考え続ける根気みたいなものがなくて、頭が固くなって、どこかの誰かが言っていたもっともらしい考えを自分の考えにしてしまって高を括っていた。
その大人のことがなぜ分かるのかというと自分もそういう大人になってきているから。小学生のように分からないままでいる忍耐と言うか柔らかさみたいなものが減っていることに気付いて恐ろしくなってしまった。
夏の長雨に名前を付けて分かった気になるのではなくて、なんでこんなに雨が降っているんだろうと、考え続けることを小学生に教えてもらっている。そもそも雨が降る理由も分かった気になっているだけなのだから。
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