桜模様に染まる
昨夜からの雨風で散った桜の花びらが軽トラを水玉模様ではなく桜模様に変えていた。雨止まないので今日もお休み。
いつもと違うことが起こると、それまで何となく当たり前と思っていたことでも、そろそろ何とかしなくちゃいけないんじゃないのということが浮き彫りになったりする。
そういう大切なこととは別に、僕がここ数日、コロナ報道やネットを観ていて思ったどうでもいいこと2つ。
1つめ。
マスクは、シルエットがすっきりした少し大きめのものがかっこよく見えて、顔の大きさに合っていない小さいマスクはどうしてもダサく見えるぞ、ということ。
もう1つ。
世の中の多くの人は、誰かと一緒にいたいという欲求がわりと強いんだなという感想。世の中の平均的な人恋しさへの欲求度合いが、僕は多分少なめ。そもそも一人農業を選んでいるくらいなので誰かと一緒に仕事をしたいと思うことが、ほとんどないし、仕事が終わってから誰かと一緒にお酒を飲みたいとも思わない。リモートワークになって一人で仕事を始めた人たちがテレビ会議システムのことをやたら話題にするのだが、あれは会議が必要なのではなく、誰かと一緒にいたいという欲求を満たしているように見える。ちなみに、それは悪いことではなく、協調性、集団行動、コミュニケーション力などプラスの能力とされているもの。子どもの頃に強く求められる「友だちと仲良くする」という何よりも大切な能力。それらの不足は学校においても社会においてもマイナスとされてしまうけど、もし自分が一人でもあまり気にならない性格だという自覚があるのなら、世の中の一人でやる仕事というのは大体人気がないので、競争相手が少なくて案外楽でお得なんだよねと思う。
だからといって完全に一人ぽっちは僕でも寂しい。一人農業といったって家に帰れば家族がいるし、年に数回は親しい人たちの飲み明かすこともある。でも、毎日他人と一緒に狭いところにギュウギュウ詰めにされる学校みたいなところには行きたくないし、毎日、誰かと一緒に仕事をしたいとは思わない。会社を辞めて次に何の仕事をしようかと考えたときに、農業を選んだのは、農業が好きとか合っているとか思った訳ではなくて、一人でできる仕事だったからというのが大きかったのかもしれない。例えば、何かを作るとか、壊れた物を修理するとか、ひたすら穴を掘るとか、どっかひとりで出かけるとか、パソコンに向かって何やらブツブツ言うとか、そういうことでも良かった気がする。まあ単に、一人でできて、家ではなく外いれる仕事が農業だったという感じ。
若いときは気づきにくいけど、欠点とされている人とは違う何かは、案外使いようによっては武器になるかもしれない。
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