佐賀に帰る
親戚のお葬式があり6年ぶりに佐賀に帰郷。
時間があったので高校時代に家族と暮らしたところに行ってみる。両親兄弟も東京や大阪で暮らしているので誰もいない故郷。その頃暮らしていた家は人手に渡っているので自宅以外で一番長く時間を過ごした場所に行ってみる。
自宅の裏を流れる小さな多布施川の水門。
僕は高校3年生の春に部活を早めにやめた。健康上の理由での退部だったが実際は惰性で続けてきた剣道がしんどくてつらかったから。小学生の時に父親から教えられた剣道だったが、多分初めて自分の意思で何かを決めたのがこの退部だった。
部活がないと放課後にすることがなく、そこで始めたのがこの裏を流れる小川で釣りをすること。
学校から帰ったら雨の日以外は毎日、水門の前のコンクリートに座り、日が暮れるまで鮒を釣った。マッシュポテトの甘い香り、濁った川やフナの生臭い匂いが甦る。ここに座ると今でもマッシュポテトの餌がばらけて落ちる瞬間に浮きがゆらりと上がり、魚が餌を吸い込んで浮きすっと沈む瞬間の映像が甦る。
4月から始めて3ヶ月くらい経った頃に突然、ここからどこかに行こうと思い立つ。どこかに行こうというよりこんなところから逃げ出したかった。大学に行くという大義名分があれば親を説得できるかもしれない。地元の大学だと意味がないので、やってこなかった勉強を始めた。それを決めたのがこの水門のコンクリ。
水門から次にやってきたのが、学校の帰り道にあった堀端の県立図書館のこの部屋。ここで二次試験の前日まで机に向かう。なぜか機械油のような匂いがする部屋だった。お腹が減ると学習室に下にあった食堂で小さなうどんを食べた。香川県民なら全員が見下すであろうコシがない薄味のうどん。
帰郷しても誰もいない故郷は自分が死んだ後の世界みたいで、懐かしい景色や匂いはするのに誰も僕の存在に気付かない。死んだら昔暮らした場所を魂が巡るのだろうか。佐賀や三重、岡山に東京そして小豆島、その次のどこか。
お休みいただいていたベルガモットの販売、今日から再開します。
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