ゴミ拾いという仕事のこと
冬のオリーブ畑は虫も木も半分眠っているので急いで世話をしなくてはいけないことは、ほとんどない。
それでも山から降りてきた鳥たちは木々を縫って渡っていくし、冬が好きなハコベなどの草々は小さな白い花を咲かせている。
冬でも定期的に畑を見回ってやる仕事はゴミ拾い。
僕の6つの畑は、どこも人里の中にある。人々が暮らす道の横に畑が広がっている。
そして残念ではあるが、空き缶やタバコの吸い殻や丸めたティッシュが転がっている。
落ちているコーヒーの銘柄は同じ微糖ものだったり、イオンの発泡酒であったり、青い箱のタバコの銘柄であったり、たぶん同じ人が習慣のように捨てているのだろう。
僕にとって畑の草木や土は何より大切なので、自宅のリビングにそれらが投げ捨てられているより残念な気分になる。
物理的にも有害なものが土壌を汚染する可能性もあるのでゴミは拾わないといけない。
10年、農業をやっているということは10年間畑に捨てられているゴミを拾っているということ。
そして日本中のほとんどの百姓が畑に捨てられたゴミを拾い続けているのだろう。
たまに高松の田んぼの畦道を歩くと、うちの畑どころではない量のゴミが落ちている。人の量とゴミの量は比例するのだなと、いう法則を思いついて何だか笑ってしまう。
農家になった頃は腹が立っていたけど、10年近くやっていると腹も立たない。少し悲しい日々の仕事として何にでも慣れてしまう。
いつもの通り道を毎日、掃除しているおばあさんがいる。みんなの道を誰に言われたわけでもないのにゴミを拾い、落ち葉を掃き、雑草を抜いている。
自分の畑なのだから自分できれいにしておくのは当たり前のこと。
まあゴミを拾う人はゴミを捨てない。この法則は間違いない。
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